科学とニセ科学

科学は全体としてつねに人生から離れる、ただ迂路をたどって再びそこへ還ってくる。


そして、ニセ科学もまた、つねに人生から離れる。そして言葉の遊びを経てどこかに消え去るのである。

楽をしたいならそれでもいいのだろうが…

人が好んで党派にくみするようになるのは、たとえ安息はなくとも、安心と安全が見出されるからである。


サルトルによると『人は自由の刑に処せられている』のであって、現代社会においての時自由とは時として呪いですらある。

完全な自由は好きなときに好きなことをし、好きなところに行ける一方で大地をまくらに野垂れ死にする自由と隣り合わせである。


そして、人は無意識のうちに自由の恐ろしさを知っているためか、自らの自由を放棄することが少なくないのである。

自分の運命の選択権を誰かに引き渡し、誰かの後をなぞるような生き方をして安心している人は少なくないと思うのである。

この世に生まれてきた以上は、出来る限り学びつくさねばならないと思うのである。

その為には自分の道は自分で切り開くしかないのである。


などと言ってみた。

明日は明日

自由も生活も、これをかちとろうとする者は、日ごとに新しく闘いとらねばならない。


子供の頃のある時期にいじめられっ子であった。親はそんな私を受け入れることができなかった。すぐに泣くような弱虫は情けないとのことだった。

あの頃は夜眠るのが嫌であった。眠ったら明日が来るから。


そして、今は幸福である。

確かに日々の暮らしすべてが満足という訳ではないが、間違いなく幸福である。

明日がくることは怖くなくなり、よく眠ることができる。

今は、寝ただけでは明日は来ないと思うのである。

少なくとも今日よりも良い明日は眠るだけではやって来ないのである。


明日も、新たな一日のために闘うのである。

そして、一日の始まりはいきなりの難関 『布団からの脱出』である。

特に冬場は厳しい戦いである。

ある意味で師匠

愛人の欠点を美点と思わないほどの人間は、愛しているのではない。


この言葉に照らすと、私は家内のことを概ね愛していて時々愛していないのである。

結婚してから20年余り、50歳に近くなった親父のセリフではないようではあるが大目に見てほしいものである。

家内は必要以上に率直にものをいう人である。私はそれを概ね肯定的にとらえているのである。

時々それがもの凄く気に障ることがある。


そう、自分の課題を率直に指摘されることは時として不愉快なものである。

そんな家内を苦々しく思う時がある。そして、いちいち家内の言うことはもっともなので、欠点ですらないのだと思うのである。甚だ始末に悪いと思うのである。

そして、そんな時の私はたいてい我の強い私なのである。


ようやく自覚できるようになったのである。

現状

意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない。


今日、2発目のゲーテである。

ま、そう言うことである。

好機の到来を待てずに動くことを『ジタバタする』と言う。

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一夢庵(M2)不便斎

Author:一夢庵(M2)不便斎
私の目の前の世界は、私が生まれてきた時に私に贈られたものである。
あなたもかつて世界を贈られたからこそ生きているのである。

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