考えるということ

仕事で機械図面や建築図面を読むことがある。
2次元の紙に3次元の機械や建物を書き表して表現するのである。

芸術方面では、平面に立体を表現する技術があふれていて、時に感心し、感動することもしばしばある。

一方で、どれだけ立体に見えてもやはり平面であることには違いはない。言い換えると平面に書いている限り平面(2次元)から飛び出して立体(3次元)になることはできないのである。

ふと思ったことである。
物事をしっかり考えることは重要なことである。
考えなしに生きることは危険ですらある。
一方で、いくら考えたところで、自分の限界を、人間の限界を、この世界の次元を超えることはできないのである。

だから、考えることは無駄で無意味であるとは言わない。
限界のある頭で考えたことを自覚して思考を使いこなすこと。
思考の限界を知り、見極めること。
そのあたりが当面の目標の一つである。

反省しない私(追記有り)

哲学者ニーチェのことばで、『一日の終わりに反省するな』というものがある。

一日が終わり、疲れ果てた時に考えることといえばマイナス思考になりがちである。
後世に反省して明日に生かそうと思っていても、思考は愚痴や泣き言につながってしまう。
そんなことをするなら、よく食べてよく眠り、疲れを取り除くほうがよほど効果的である。


職場の先輩や親などから、『一日の終わりにその一日を振り返って見なさい』的なことをアドバイスされた経験をお持ちの方は少なくないだろうと思うが、私は『ニーチェに一票!』である。

そして、ふとどこか無意識のかなたからツッコミが聞こえるような気もする。

元気な時は、たまには反省したほうが良いぞ

そんな気もする。

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言葉と思考

確か、ニーチェあたりの言葉だったと思う。
うろ覚えなので、言葉を補いつつ書いてみた(たぶん大支持の意味は間違っていないと思う)。

頭の中で思考を具体化するのは言葉である。
その人の言葉(語彙や表現力と解釈した)が貧しければそれに応じてその思考も貧弱なものになる。
言葉が豊かであれば思考も豊かになる。
質の高い思考をするために、本を読んで多くの言葉を身に着けることは有効である。


これは、自分の頭の中の思考にとどまることではないと思う。
外から取り込んだ思考を頭の中で解釈することにも言えることだと考えることができる。
誰かが考えたことを言葉として聞いたとき、それを咀嚼して自分のものとするには相応の言葉が必要であり、それが無ければ鵜呑みするしかない。
栄養価の高い食べ物を、ろくに噛まずに飲み下して十分に消化吸収できないようなものである。
もったいない限りである。

ニーチェは本を読むことを勧めたが、現代においてはその通りだろうか?
言葉というものは進化を続けている。本から得る以外の言葉も学んでいく必要がある。
私にとって、決定的に不足しているのは人とのコミュニケーションの中で生まれる言葉である(それを強化せざるを得ない状況が次々と現れている今日この頃である)。

ぐれん、Orion's Gateなどを読み、『もっと考えよう』と思ったら『考える量』を増やす方に目が行きがちであろうと思うのであるが、別な切り口で『考える』ということを考えてみるのも何かのヒントになるかもしれない。

などと言ってみた。

サヌキ的な『ここまで来い』に関する考察

昨日、両親を訪問して母の話を聞いて思ったことである。

サヌキ的に『ここまで来い』を実践しているのと、そうしていると理由をつけて放置するのとどこが違うのか?
ということである。
これは考えるまでもないことなので、細かいことは割愛する。
要は、様子見か放置かの違いではないかと思う。
そのあたりについて、考えたことについて、私の母に対する姿勢をモデルとして、以下考察する。

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勝手な解釈

勝手な解釈の下で、勝手にアセンションを論じてみる。
勝手に論じているだけであるが、ツッコミ大歓迎である(まじめな批判はちょっと遠慮したい)。

私は仏教徒ではないが、哲学者としてのゴータマ・シッダールダはサルトルやバークリよりも尊敬しているし、『犀の角』は実存主義よりもしっくりとくる。
そう言う価値観を背景にして考えたところによると、アセンションと『解脱』はかなり近い概念ではないかということである。

だから、この世界に何らかの執着がある限りアセンションは難しいのではないかと思うのである。
ではその状態は『良くない』のだろうか?
私的には『しゃーねーなー』なのだと思うのである。

もし、そのためにアセンションできなくてこの世界にとどまるならやり直せばいいのである。
そこで考えるべきは、もしもこの時点で『間違いなく境地をあげることができる状況』に置かれていると感じるなら、再びこの世に転生してきて、再びそう言う状況に置かれるというのは稀有なことである。
再びその状況に巡り合うまで、待つだけの勇気と、今の状況にそれだけの価値があるかをしっかり考えてみることである。

そのあたりに関する頭の体操である。
『世界中の聖者や賢者が集まって努力した末に、世界中の人が平等になる世界が実現できることになった。ただし、いったんこの世界をリセットするために《この薬》を飲んで、一度死ぬ必要がある。その後、平等な世界に転生してくることになる。ただし、どこの国のどんな家庭に生まれて、どんな仕事に就くのかは選択できないしランダムである。とにかく平等なので、その点は気にすることはないことは言うまでもない。』

さて、このような状況を前にして、あなたはどうするだろうか?
当然ながら、具体的にどんな世界なのかは私たちの概念を超えるものなので理解しようがない。
でも、『絶対に平等で平和』なのである。
私の答えは・・・秘密である。

さて、精進の末にアセンションを果たす、あるいは『彼岸』に至った後、そこには何があるのだろうか?
想像もつかないことであるが、やはり同じことが今よりもはるかに高い境地で繰り返されるのだろうと思うのである。

などと言ってみた。
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一夢庵(M2)不便斎

Author:一夢庵(M2)不便斎
私の目の前の世界は、私が生まれてきた時に私に贈られたものである。
あなたもかつて世界を贈られたからこそ生きているのである。

私の世界は私が作り動かして行くのである。
私の世界の操縦桿を握るのは私だけ。

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