臨死体験モドキ

中2の年の正月。
小さい頃から両親とあまり折り合いが良くなく、とりわけ母親とはそりが合わなかった。
家にいると息がつまりそうで、かと言ってグレて家を飛び出す勇気もなく、打算的な感じでまじめに過ごしていたが、とにかく家にいるのが苦痛であった。
正月早々に自転車で出かけた。
車にはねられた。
視界は真っ暗で何も見えず、その割に意識はしっかりしていた。
救急車が来て、救急隊員に自分の名前を告げ、救急車に乗せられたことも覚えている。
何も見えない割に、救急車がどこを走っているのか把握していたことも覚えている。

近所の外科病院に運び込まれたことも覚えていて、部活で怪我するたびにお世話になっていた院長先生に話しかけられたこともよく覚えている。
その後、意識がなくなったらしい。
覚えているのは、自分の体を離れて病室の天井近くを彷徨い、病院の廊下から玄関を飛び出して、病院の正面にあった赤レンガ色のビルの前を空に向かって飛び上がっていったこと。

その後、空高く浮かんだ状態でゆっくりと休んでいたことを覚えている。
周りはまぶしいぐらいの太陽の光。
暖かく包まれているような感じで、心から安らかで心地よかった。
淋しさも悲しさもなかった。すべての苦しみや束縛から逃れることができた開放感。
どこからか声が聞こえてきた。

『これで終わってはいけない』
『まだするべきことが残されている』

何気なく上を見上げた。

上を見上げると、猛スピードで何かが近づいていた。
一瞬見えたのは緑色の竜のような生き物。
あっという間に私を飲み込んだ。


手が暖かかったのを覚えている。
母親が私の手を握りしめながら居眠りをしていた。
少しずつ意識がはっきりしてきた。
病室で寝ている。
ありげな展開なら、ここで母親の愛情を知り関係が改善するところだろうと思う。

だがしかし、なんかげんなりした。
これから退院まで付き添われるのかと思うと気が重い。
私に残された『するべきこと』にはこの母親と病室(個室)で顔を突き合わせて過ごさなければならないという、『荒行』も含まれているのだろうか。

その後、早く退院したいという強い思いの所為か、院長先生が『ちょっと信じられない』と言うぐらいの回復力を示し、1か月足らずで退院した。
実は、両親は『覚悟を決めておいてください』と言われていたそうだ。
少なくとも後遺症は残るだろうと言われていたが、その兆候はいまだない。
たぶん。
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