両親訪問

約2か月ぶりに両親を訪問した。
北陸某所に移る前、父が入院した。
心配ではあるが、私にできることはない。
むしろ、両親と兄は数年前に私を『死んだもの』と思うと言い切っていた。
過去記事にはご先祖様が私の上位存在に働きかけて再び交流することを望んだのとのロッド鑑定結果を記事にしたことがある。
それが両親を救うことになるらしいのである。

私は両親。特に母からネグレクトされて育ったのである。母は、病弱な兄、DQN職人の父、そして私を抱えて余裕がなかったのだと思う。今は理解できるが、これまでは『でも・・・』が付きまとっていたのである。
だがしかし、ご先祖と上位存在に頼まれた(私のロッド情報のみが根拠)以上は、そのことはすべて忘れることにした。

最初は感情を押し殺していただけだと思う。
最近はようやく忘れることができていた。

今月の初めに母から電話があった。
父が退院したとのこと。
で、今日の午後に様子を見に行ったのである。

最近母は私が子供のころをよく思い出すのだそうだ。
そして、私の面倒をきちんと見てやれなかったことを後悔して涙が出ることもあるのだそうだ。
両親と反目しあっていたころの『仕方なかったのがわからないのか!』と過去のことを一方的に正当化して怒りをぶつけてくる母はどこにもいないのである。

自分がこうしてここにいること。愛情をかけてもらったという記憶が確かに自分にはあるということを話し、後悔する理由はどこにもないと説いて聞かせたが、この先何度かは同じことを話すことになるだろう。

母が今の境地に至るのはそれなりの努力があった結果だと思うのである。
一方で、それが私の世界に共鳴するには私の境地の変化が必要である。
いくら母が努力しようと私の境地が変わらなければ私の心には響かないからである。
すなわち、私の世界で母が救われるには両者が必要なのである。

見方を変えると、自分が境地を上げることで、自分の世界において誰かを救えるかもしれないということである。
あるいは、自分が誰かに対して私の母のような立場にあったとして、その誰かの世界において自分が救われることがなかったとしても、自分の境地が十分に高ければ、その状況を受け入れることができるだろう。このことでもその誰かを救うことができると思うのである。

自分の残りの人生において、自分の世界でどれだけの人を『救う』ことができるだろうか?
そう思うと、境地を下げるなどもってのほかなのは言うまでもない。そして、今の場所に安住する暇などないのである。

帰りの電車で座って居眠りながらそんなことを考えていたのである。
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