悪やネガティブ

悪とは何か?
ネガティブとは何か?

なんとなく使っているこれらの概念について考えてみたのである。
本質的な悪が亡くなればこの世には善が増え、よりよい世の中になるのではないか?
本質的な悪が、あってはならない存在であれば、何故この世に存在することが許されているのだろうか?

ネガティブなもの。
怒りや恨み。恐怖や絶望などの感情はなぜ存在が許されているのだろうか?

私の頭ではどう考えても必要だからという結論に達するのである。

悪の存在意義については『悪抱き参らせる』ことを理解されたあなたには説明するまでもない。
私にとっての悪が私の理解を超えた善悪に基づいていることもあり、自分とは単に違う定義のもの(相対的なもの)であることも少なくは無いのである。『悪』と切り捨てることなく、真剣に向き合うことでより高い境地に至る足がかりとなるものである。
私の中ではそういう存在なのである。

一方で、ネガティブなもの。
これは『悪』よりもつかみどころがないのである。
ネガティブな感情のサンプルとして『怒り』と言うものについて、家内から教えられた事を基に論じてみようと思う。
怒りは決していいものではない。
『瞋恚』は『三毒』の一つであり、怒りの炎は怒りの対象にとどまらずに自分をも焼き尽くすのである。
一方で、怒りが行動力につながることもある。しかしこれは短期的なものであり、褒められたことではないのである。

怒りの中に身を置いたとき、その状態をどう考えるか?
ここが一つのカギなのではないかと思うのである。
その状態が心地よければそのまま地獄に住み続ければいいのである。
一方で、その状態が不快であるなら、そこから抜け出す力ともなるのであろう。

そして、怒りの対象となる事象について考え、何かを悟り、その怒りを手放してより高い次元に移行する。
蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように、それまでの境地を捨て去るのである。
多くの場合は簡単にはいかないのであるが何度も挫折を繰り返しつつ進んでいくのである。
ネガティブな感情に襲われることがなければ、あえてそんなことはしないのではないかと思うのである。
要はどんな方向で自分の糧にするかと言うことである。

さて、少し前までの長い期間、私の心には怒りが巣食っていたのである。
今はそこから解放されたのであるが、それが糧になったのか、治まったもののくすぶっているだけなのかは今のところ判らないのである。
いずれにしても怒りによって疲れた分は元を取りたいものである。
セコい話ではあるが。
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