鵜呑みにするということ

鵜呑みにするということについて、考えてみたこと。

一般的には理性の面での鵜呑みと言うのが相当するのだろうと思う。
(信頼を寄せている)〇〇さんが言うことを検証もせずに信じると言うのがそこに該当する。
信頼を寄せているだけではなく、それが信仰に近いものとなるとかなりデンジャラスである。

そして、もう一つの鵜呑みについて考えてみた。
感情的な鵜呑みである。
人が自分に何か不快な言動をしたとする。
本来なら、その人がそんな言動をする理由や背景などを考えたうえで反応する。理想的にはそんな行動をとらせたトラウマなどにも配慮できればいいのかも知れないが、それは極めて困難である。
このような理性を感情がシャットアウトして、感情が鵜呑みにしてしまう。
私にはそういう行動が多いのかも知れない。
そして後になって理詰めで分析して分ったつもりになっている。

『理詰め』以外の部分を鍛えなばなるまい。
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