『世界と平和について』についての考察

少し前に書いた記事『世界と平和について』に書いた夢の内容について考察してみた。

仏教でいうところの輪廻と解脱で考えるとわかりやすいかもしれない。
私の生半可な知識で、この世界で悟るために輪廻を繰り返し、悟りつくしたら輪廻から解脱するということではなかったかと思う。極めて簡単に言えばである。

例えば、病気になるとこで何かを考えて何かを悟る機会を与えられるとしたら(実際に悟るかどうかは別として)、病気を無くすことは悟りの機会を奪うことになりかねない。
だから、何かの病気が撲滅されたら、この世界は新しい病気を用意するのかもしれない。場合によっては忘れた頃に復活させるのだろう。そのたびにより強力な病気が出現するのである。

私の思うところでは、この世界のレベルか何かに応じて私たちが善と捉える物と悪と捉える物のバランスが保たれているのだろうと思うのである。
私たちが『悪』と捉えるものを無くしたところで、新たな悪が生じるのであり、それはバランスを保つためである。往々にして、それらは私たちが無くそうとするたびに、より質の悪い・対処しにくいものが現れるのだと思うのである。


この世界には本質的な平和は訪れないし、テロや犯罪もなくならない。
イジメや暴力も残念ながらなくならない。
私はそれらを肯定している訳でもないが否定しているだけでもない。
それらに巻き込まれた被害者の方を気の毒にも思うのであるが、私に出来ることはない。
有るとすれば、その悲惨な経験が魂の学びにつながることを心から願うだけである。

世の中には世界の平和を祈ると言う行為がある。
それはそれで立派なことと思う。
善意に満ちた利他的な行いは美しい物である。
だが、私はその世界には居られないのである。
この世界が、魂の学びのために存在する仮想的な物であることを知ったからである。

私に出来ることは世界を平和にすることではなく、自分の世界と自分の心の平和と平安を保つことである。
そして、この世界を解脱した後にはどんな世界が待っているのか、大変興味がある。
どう見ても長い道のりが待っているのであるが。
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