真面目と真剣についての考察

以前も書いたかもしれない。
私の周囲には真面目ということと真剣ということを同一のものとみなす人が多いので、しばしば閉口するのである。
以前の私もそうであったので、あまり人のことは言えないのであるが、真面目にかつ真剣に物事に取り組んでいると、行き詰ってしまうことが少なくない。
思考に柔軟性がなく融通が利かないのである。
一方で、真剣にやらなければ何らかの失敗があったり回避できるはずのミスを犯すかもしれない。手は抜けないのである。

ある日、『北斗の拳』を読んでて思い当たったのである。
私の言う『真面目』というのはラオウの『剛の拳』そのものであり、その視点で言うとトキの『柔の拳』は明らかに不真面目なのである。
一方で、どちらも真剣勝負を挑んでいるのである。
そうして、私の意識の中では『真面目であること』と『真剣であること』との区別が成立し、私の中の定義が確定したのである(この定義が正しいのかは定かではないが)。
やがて、この二つは方向性すら別の物となり、独立した座標軸として私の中に存在する。そして、これに類する座標軸はほかにもあるのだろうと思われるが、これは一生かけて探し続けることになるのだろう。

私の仕事の姿勢は、原則として真剣に不真面目なのであるが、一部の人からは不評である。
『もっと真面目にやったら、さらに良い成果が出るのでは?』と言われることが少なくないのであるが、真面目にやれが私の思考の柔軟性が損なわれ、成果どころの騒ぎではなくなるのである。
だがしかし、真面目という尺度にも上には上があり、真面目かつ柔軟な姿勢というものを保つ術はどこかにあるのだろう。
ここで明らかなことは、一見わかったようなことを論じつつ、私はまだまだ修行中のみであるということである。
ただ、確実に言えることは物事を機械的に『善と悪』や『良し悪し』置き換えてそれで良しとする怠惰な感性からは抜け出すことができたということであり、やっと真剣に生きる姿勢が身につき始めたということである。
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