科学技術と芸術

私の専門とする仕事はフラスコで目的の物質を作る方法ができたら、それをプラントに適応させることである。
10mLのフラスコで作った物を1000Lの反応装置で作る場合、10万倍の原料を使えばいいというものではないのである。
例えば、小さな鍋を加熱してお湯を作る場合、鍋の中にある水の温度は概ね均一である。しかし500Lぐらいの浴槽を加熱して風呂を沸かすとき、浅い部分は温まっていてもそこに近い部分はほとんど水であるという話を聞いたことがあると思うが、容器のサイズが大きくなると均一にかき混ぜるのも難しくなるのである。水を単に温めるだけでもそうなので、複雑な化学反応が絡んだ場合は推して知るべしである。

私のような仕事をする技術者は時として『職人さん』と表現されることもある。
だがしかし、自分の中では『芸術家』であると思う時がしばしばある。
知識と経験と想像力を総動員して仕事を仕上げるのであるが、理解を得られないときには『私の作風を理解しない人には作品を提供しない』などと、意味不明なことを口走るのである。

私の机には片側だけ印刷して用済みの書類の束があり、その近くには数本の鉛筆が置いてある。それらは、私の頭にインスピレーションが降ってきたときに使うものである。目の前にある現象と、いくつかの理論や数式をつなげるためのパズルのピースがひらめいたとき、ものすごい速度で必要なことを書き殴るのである。そして、6割ぐらいの確率で何かが出来上がるのである(そして使い物になる確率はその1割ぐらいであるが)。
こんな姿はどことなく芸術家っぽいでしょ。
などと言ってみるが、ただの変人のおやじにしか見えないのである。
そして『芸術は爆発』であってもいいのだが、化学プラントには爆発は禁物なのである。

使い物になるかどうかは別として、目の前の現象を説明する理論を組み立てて数式で説明できた時の喜びと興奮は言葉では言い表せないものである(そしてそこに間違いが見つかった時のがっかり感もしかりである)。こういう喜びを知り、時々経験できる私は幸せ者であると思うのである。
一方、仕事としてそれをまとめ、報告するときに理解してもらえる相手が少ないことは不幸なのである。

禍福はあざなえる縄の如し。
ちょっと違うか。
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