気力

最近、職場での気力が湧かないのである。

世間では、そう言う状態を一絡げにして『鬱じゃない?』と疑ってしまう。

そして当人も『鬱かもしれない』と思い、思い込みのスパイラルに巻き込まれて行く。


だがしかし、私はそう言う手合いではないと自負するのである。

そしてこういう状況下で、自分を分析してみたのである。


発端は、職場にいると思考・論理・現状解析などにおいて、話がかみ合わないことであり、その摺合せがままならないことにある。


まず、私の意図は表面のみは伝わるが、真意を伝えるのに膨大なエネルギーを要する。往々にして、私の利己的な発想と誤認されることが少なくない。説明が拙いのかもしれないが、発想の素材はその人の頭の中にあるものなので、そう受け取る人は自分が利己的発想をする人である可能性は十分にあると思われる(そう言う発想を飼いならしているのかもしれないが)。


一方、周囲の意図は、私にとっては透けて見えるように感じるのである。

試しに、『確認しますが、あなたの意図は○○ですね?そして△△を志向していると思うのですがそうですか?』、最後に『仮に、最も利己的に考えた場合は××と言うことも暗に意図できますが、そう言うことはありませんね?』この質問をすると、相手は動揺して激しく否定することが少なくない。可能性は高そうである(私よりも感情が動きやすいだけかもしれないが)。

他人がどう考えようと知ったことではないが、火の粉をかぶらないように手は打っておく。


そして何より私の気力を削ぐのはあいまいな定義の言葉を使って漠然として議論をすることである。


<例>

○良い方法:良し悪しは概ね個人的な解釈であり、その尺度も然りである。

○みんな:うちの職場で頻出するが、多くの場合は『自分の周りにいる人たち』あるいは

       『自分と利害の近い、いつも話をする人たち』程度であって、一般的な『母集

       団全体』であったり『母集団を代表し得るサンプル群』ではない。


これで浮き彫りになってくるのは、私は論理性や客観性に乏しい日常に疲れているということであり、単に自分の置かれた環境を悲観して心を暗くしているのではないということである。


ただ、私を悲しませるのは『仁義』を理解しないどころか『仁義』と言う発想そのものが無いと思われる状況が多いことである。他人のすることに興味はないが、時として『仁義のない戦い』が必要になることが私の心を暗くするのは事実である。


などと、愚痴っぽく書き散らしてみた。

要は、私はどれ程疲れようとも鬱にはなり得ないかもしれないということである(修行が足りないので近い状況に陥ることはあるが)。そして、精進してそういう状況を近づけることのないような明るい強さを身に着けることが必要なのである。


さらにさしあたって必要なのは、『疲れてるんなら、少しは頭を休めなはれ』と言うことである。

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