私の世界での自由について

このところ、職場でかなり煮詰まっていた。


言っても仕方ないので根本的なことを言わずに最小限のことのみを言って、あとは『無口な傭兵』としてやり過ごしてきた。

何も言わずに感情を悪化させるのは確実によくないことである。そして、『言っても理解できないだろう』と言う推測はあくまで自分の内側のもので、自分の外側の世界ではどうなのか?それを検証したり推測したりするデータは持ち合わせていないのである。


元々は私が直接かかわりが無い件での私の意見を確認するために上司と話をする機会があった。

せっかくの機会ということで、私の仕事の状況について、何か言っておきたいこと・相談したいことを聞かれた。

そこで、くすぶっていた思いを淡々と列挙した。

一応、言うだけのことは言った。自分に与えられた自由度については感謝の意を表した。

それだけのことである。

上司はかなり驚いていたようである。驚いたふりかもしれないが、そこを検証するデータは無い。


こういう話がある。


ある日、歩いていると目の前に魔王が現れた。

魔王が言う。


『何か望みがあるか?』

『ある』

『では言ってみよ!わしが聞いてやる』


そこで望みを言う。


魔王 『ほう、そうか、それがお前の望みか。じゃ、わしはこれで』

私 『かなえてくれるんじゃないのか?』

魔王 『聞いてやるとは言った。かなえてやるとは言った覚えはない』



そう言うことかもしれない。そうではないかもしれないが検証するデータもないのである。

すべてを吐き出したおかげではっきりしたことがある。

私は誰のために仕事をしているのか?

結局は自分のためである。

たとえ、誰かから面倒な雑用を押し付けられたとしても、自分が自分の判断で決めたことなら、それは自分のために行動を起こすということである。


カントの言う普遍的な道徳律は現実的には存在しないのだと思う。

自分の世界で一貫した道徳観ならある。

それに従って判断を下す限りにおいて、私は誰よりも自由なのである。

そして、そう言う自由を目指すべきだと、何年か前に思ったのをすっかり忘れていたのである。

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