うちのオカン

私の母親は(『母』toは言いたくないのである。『母なるもの』ではありえないから。だからと言って『KSBBA』と言うのも何なので、此処は関西人らしく、以下『オカン』)行動に問題がある人で、よく感情をこじらせる。人の善意を曲解して悪意と見做し、感情を悪化させる。


家内とお茶を飲みながら話をしていて、何かのきっかけで私の実家の話になった。

私はオカンから父方の親族の悪口を言われながら育ったので、鵜呑みにするわけではないが、そんな先入観を植え付けられていた。

一方で、父方の祖父から特にかわいがられ、一番年下の叔父から可愛がられて育った。

農学科のある高校に行きたいと思っていた頃があり、父方の伯父(長男)の家の近くにその高校があったので『そうなったらわしの家から通うか?』などと言ってくれていた。


こういう厚意も悪く取っていた。

結果的に父方の親族の人間関係をかき回し、ギクシャクさせてもその自覚は無く、むしろ自分が被害者的な思いに苛まれていたのである。


本人も不幸であるが、かき回されたほうはさらに不幸である。

この齢になって、それなりに物事がわかるようになってから当時の記憶の断片をつなぎ合わせると、祖父や伯父・叔父たちの心情が思い遣られてならないのである。


なぜ急にそんなことを思い出すのであろうか?

そして、こんなことは過去にも何度かあるが、いったい何なのか?


ふと思ったのは、オカンの洗脳を受けて育った私には、オカンと同様の思考の癖と言うか方向性を植え付けられているのである。同じ轍を踏まないために繰り返し訴えかけてくるものがあるのだということである。


話は変わって、私は元々洋楽しか聞かなかったのである。そしてJ-POPには何の興味もなかったのであるが、ある日のニュースでとある女性ボーカリストの訃報を聞いた。別段興味はなかったのであるが、かなり綺麗な方だったので関心はなかったわけでもない。何より耳に残ったのは自分と生年月日が同じであったということ。それだけの理由で、『一度歌を聞いてみるか』と思い、CDを借りたのであった。

その中で耳に残ったのは『回り道も意味のある修行(おしえ)と気付く日が来る』、『許せなった幼い日、どうかせめて前途ある未来に…』と言う歌詞であった。


さて置き、先日電話で年々かぶりに話した時に受けた感じがあったのは『呆けつつある?』と言うことである。当然ながら、呆けてないとしても救いようのないほど頭は固くなっているだろう。だから現実を理解させて反省させることなどは望むべくもない。自分の世界で生かすのみである。


かつてはこのようなオカンに対して憤りを感じていたのであるが、そんな憎悪の状態からようやく抜け出せつつあるのだと思うのである。

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