なんか引っ掛かる

40代の教師が掃除をサボった生徒を注意しようとしたとか何とかで、行き過ぎた体罰を加えたとかいうニュースを見た。
体罰について、反省しているとのこと。
では、掃除をさぼって注意された子供は反省しているのだろうか?

この類の問題で、教育について語られる場合、体罰については語られるが、体罰の原因になった子供の行為についてはあまり語られることは無い。
健全な教育を論じるなら、そこはなおざりにしては拙いのではないか?
そう思うのである。
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集団鑑定

現在、集団鑑定を進めているところです。

自宅に帰省中につき、付き纏ってくる生き物(ニワトリ)やロッドを狙う肉食獣(猫タン)がいるために思うように捗らず、お待たせしてすみません。順次進めていきますので、今しばらくのお待ちをお願いします。

ところで、今回も2週間後の鑑定を希望される方はいますか?

もし希望される場合は、前回同様にメールフォームから、以下の要領でご依頼ください(4/24まで受け付けます)。

◯タイトル:『波動鑑定(集団鑑定2週間後)』 または 『新地球/旧地球と意識の方向鑑定(集団鑑定2週間後)』
◯本文:以下の項目
  ・連絡先(メールアドレス)
  ・ご希望の依頼内容と集団鑑定結果を受け取った日付
  ・鑑定を受けられる方の『ご住所;○○県△△市(郡、町)』、『ご氏名(ふりがな)』
  ・ご希望の振り込み先(ゆうちょ銀行またはジャパンネット銀行)


鑑定料は、前回と同じく割引価格でお受けします。
 ・波動鑑定:1500円のところ1200円
 ・新地球/旧地球と意識の方向鑑定:1000円のところ800円

老害は

老兵は死なず、消えゆくのみ

ダグラス・マッカーサーの有名な言葉である。

一方、老害は死なず、おまけに居座るのみ

なのである。
しかしこの人、『しゃべるのは得意』といっているが、その内容は『苦手』と言っている文字を打つことと、内容的に大差がないことに気付いていないのだろうか?

足りないのは言葉ではない、足りないのは・・・。推して知るべし。

境界線

元来、私は真面目な質ではないのだと思う。
子供の頃はまじめが良いと教えられ、躾けられてきたので真面目な子だったが、その洗脳が解けてしまうと地金が出るのである。
だから、私は自信をもって宣言できるのである。

私は不真面目である!

アホな宣言をしている場合ではないので、本題に移るとする。

新地球/旧地球鑑定に関する定義をここで再確認しておきたい。

新地球:これまでの自分の境地よりも高い境地に移った状態
旧地球:これまでの自分の境地よりも低い境地に移った状態


ここでは、人の境地は成長に伴って高くなっていくというのが前提になっているのである。
この定義で注意したいのは、これらが『相対的な』評価であるという点である。

そして今、私の頭を悩ましているのが『境界線』である。
何度か書いてきたことではあるが、新地球に移ったらそこが次第に当たり前になっていき、そこが当たり前になったらもはや『新地球』ではない。そのままだとそこは『旧地球』である。
『境界線』と言うのはもっと上の境地があることを知っている状態である。

境界線にいる場合、大雑把に『そこが今の波動に合っている』、『ここで良い』、『上を目指して努力するが、方向がズレている』などの状況が思いつくのである。他にもあると思うのであるが。
この辺りはまず自分で考え、吟味していただきたいと思うのである。

前世でやり残したこと?

ふと思ったことである。

りかさんに鑑定した頂いた結果、共和制ローマの執政官『ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌス』とのことであった。
これが、このところの動きの始まりである。
この時に、善政を徹底するのはtからが欲しいと望んだのでは無いだろうか?
私利私欲に汚されず、何物にも負けない力があればもっとよかったのではないだろうか?

そして、その後の前世で名君で賢人として知られる『マルクス・アウレリウス』として転生し、善政を敷いたのではないかと思うのである。めでたしめでたし。
・・・とは行かないのである。
突き詰めると善政と悪政、名君と暴君の違いはあるのだろうか?
突き詰めると方向性が違うだけで、やっていることは『自分の望むことを命令するだけ』ではないだろうか?
恐らく、マルクス・アウレリウスは悩んだのではないかと、勝手に思っている。
転生した私が思うのだから、たぶん間違ってはいないだろう(と勝手に思う)。

そして今。私はごくわずかな範囲において、普通の中年として知られ、さらに狭い範囲で意志の強い技術者として知られ、頼りにされ、嫌がられてもいるのである。早い話が普通のおっさんの範疇に入るのである。たぶん。
ここで、自分が正しいと思うことを貫くには、それが自分にとっても周りにとっても、総体として正しいのかどうかをしっかりと考えて、自分の責任で行動に移すしかないのである。今世ではこれをやりたかったのだろうと思うのである。
その目的のためには深く思考し、自分の行動と思考を吟味していくしかないのである。『歴史的にすごい人』が前世であったら、おそらくは重い課題がついてきているのだと思うのである。
浮かれたり、『自分にはとんでもない』などと思っている暇があったら、何を求めて今の自分なのかを考えてみるのが良いと思うのである。

Orion 46.1

でりあさんの鑑定を読んで、感服した次第である。

鑑定にもあるように、私の波動は大したものではない。
鑑定をする立場上、鑑定した結果をまとめると、かなり上から物を言っているようになってしまうのであるが、実態はアホの中年オヤジである。
見た目が若いので、実年齢を言うと『マジっすか?』的な反応が多いのであるが、それは歳相応の苦労が身についておらず、いつまで経ってもガキだという事である。

それはさておき、りかさんに鑑定していただいた『ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌス』あたりから何かが変わりつつあったのである。前世を知ることは遊びであり、楽しんでやってみるのは良いことである。
その次にその前世で何をして何を感じ、今の自分に何を託したのか、じっくり考えてみることは意義深いことである。
その部分も、『自己の向上』や『波動を上げる』などと言うことを前面に押し出して堅く構えるよりも、半ば遊びで半ばこの人生を味わい尽くしたいと思って取り組むのが妥当かと思うのである。

これによって、これまで自分の中から湧き上がってくる憤りが何に由来するのか、自分が突き動かされる衝動の源が何なのか、そのすべてだか一部だかわからないが、行きあたることができたのである。

そして、でりあさんの鑑定のとおり、深く考えることで意識レベルが上がったのだと思うのである。
次はそれに釣り合うように波動を上げていかねばなるまい。

なんで無くならないのだろう

『人は叶う夢を見る』のこの記事を読んでふと思った。

ガムってなんで無くならないのだろうか?
そもそも、ガムの本体ってゴム状の合成樹脂なんだが、それを長時間口に入れて噛むっていうのは私にとって狂気の沙汰でしかないのである。大雑把に言って、樹脂を形成する高分子を合成する反応を制御するのに添加する物質や樹脂の形状や性質を付与するための添加剤なども含まれている。ごく微量ではあるが、気持ち悪いと思うし、蓄積すれば体に悪いだろうと思うのである。

『ガムをかむと集中力が高まる』などと言うことを聞いたこともあるが、電車に乗って吊革を持ちながらイヤホンで音楽を聞いたり、その辺を歩いているときに集中力を問われることはレアなケースと言わざるを得ない(あるいは、歩きながらスマホをいじるのには、高度な集中力が求められるのかもしれないが・・・)。
すると、ガムの目的は『果物などのおいしい味と匂いを保持するものを携帯し、望むときにそれを味わうこと』に絞られるのだとおものである。その場合、ガムは必須ではない。むしろ、中途半端に味が抜けたガムを噛むときのあの不味さを考えるとマイナス要素もある。
『ガムを噛む食感が必要』と言うことであれば必ずしもガムである必要はないのではないか。チューイングキャンディーでOKである。
『ガムのカス』と言う迷惑なものを排出してまで噛む理由はどこにも見当たらないのではないかと思う(私の知らない『ガム道』などと言えるような、特別なこだわりがあるのなら別ではあるが)。

同様に、ニコチンを摂取するためだけに、はた迷惑な煙を排出し、危険な火を振り回す『煙草』なんぞもなんで無くならないのか不思議である。もっとスマートかつ効率的に摂取する方法はいくらでもあるはずである。ここは、『頑張れ!電子煙草』でもあるのだが。

なんで無くならないのか、不思議でならないものは他にも見も周りにあふれているはずである。当たり前すぎて気付かないだけであるが、これらが無くならない背景には、何か陰謀が隠されているのではないだろうか?
などと言ってみた。

むしろ、『久々にアホな駄文を垂れ流して、滑ってみたい』と言う目的のために、これ(↑)と言うのもなんで無くならないのか、甚だ疑問である。それ以前に『久々に・・・』って、駄文で滑るのは平常運転ではないか?
などと、ありげなオチで締めくくるのである。

ニワトリ

昨日帰宅したのは日付が変わる少し前。
晩飯を食べて、風呂に入り、ネタのが1時前。
ニワトリは『今日はお父ちゃんが帰ってくるよ』と聞かされていたらしく、寝床で起きて待っていた。

今朝は6時過ぎから起こそうと、つついたり、顔を踏んで足踏みしたりしていた。

なので、眠い・・・。

一人飯

最近、効率的に食事の準備ができるようになってきた。
食事の準備がさほど苦にならなくなった。
しっかりと野菜を摂ることが出いているようである。

だがしかし、いくら努力してみたところで、自分の作る晩飯は空腹を満たし、体を維持するだけのものである。
自分でもうまくできた時であっても、『美味しい』と感じることはあっても、体の疲れや心の凝りが溶けていくような飯は作れないのである。

この週末に帰省する。
家内の作る食事が楽しみである。
(感謝!)

今朝の寝言

虎はなぜ強いか?
強いから強いのである。
虎や狼が獲物を狩るために日々鍛錬することは無い。

私が勝手に前世認定している前田慶次郎 利益の言葉だそうだ。実際に行ったのか、後世の創作かは定かではないが。

一見自分が強いことを背景にした上から目線の言葉とも取れるのであるが、視点を変えてみると違った解釈もあると思うのである。
学生の頃にやっていた競技で、私はそれなりに活躍していた。全日本レベルの選手も参加するという練習会に参加するという機会もあったが、その時に思い知ったのである。

自分と彼らとは違う。
あと一歩で追いつくかもしれないが、その一歩を詰めるのは一生かかっても無理。


わずかな差であるが、それが決定的な差である。
そして、凶相になるほどストイックに自分を追い込んでそこに追いついたとしても、引き換えに競技者として失うものも大きいのである。


ブッダは、今の境遇を擲ってより高い境地を目指し続けることを説いていたように、私は解釈している。
今の境地が自分に合った境地であり、それよりも高い境地は、今の自分には高すぎてかなりの鍛錬を要する。
そこで考えるべきことがある。
手放して上を目指すべきだから鍛錬をするのか、自分に合った境地に合えて留まってそこで自分の力を養うのか。
それらが何を意味するのかを考えることが必要なのだと思うのである。

などと言うことを、寝ぼけつつ自分に説いていたんだか、誰かに話していたんだか、よく覚えていない。
プロフィール

一夢庵(M2)不便斎

Author:一夢庵(M2)不便斎
私の目の前の世界は、私が生まれてきた時に私に贈られたものである。
あなたもかつて世界を贈られたからこそ生きているのである。

私の世界は私が作り動かして行くのである。
私の世界の操縦桿を握るのは私だけ。

あなたの世界は?

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