枢だったのかもしれない

おととしの後半から出向までの間にやっていた仕事であるが、多くの人が失敗し、投げ出したものであった。
私は会議の席でいろいろと助言していたのであるが、スルーされ続けた。
袋小路にはまったところで私が担当することになり、上司や前任者から受けられるはずのサポートは無しで、すべて一人でやっていた。
結果的に問題解決の糸口をしっかりつかんだところで他の研究テーマに移ることになった。
そして、その仕事の成果は評価されず、出向後に聞いた評価は『あと一歩粘ってほしかった』というものであった。

振り返ると、その仕事は私が失敗する前提だったのではないかと思うのである。
期待に反してうまくやり遂げようとしたので手を打ってきたのだと思うのである。

出向を打診された当日、私は研究所長に退職の相談をするつもりであった。
ここは自分のいるべき場所ではない。
強くそう感じて、家内とも相談し、決心を固めた翌日であった。

枢に落ちて、反転を果たしたのかもしれない。
今朝のマサトさんのブログの記事を読んで、そう思った次第である。

ただ、私が枢に落ちたと思われる時期は、のたうち回るほど苦しまなかったのであるが。
のたうち回ったとしたら、上司であったと思うのである。
完全に論破し、のど元に匕首を突き付けられる勢いで、私から追い詰められていたのである。
かなりメンタルに来たらしいが、知ったことではない。

とにかく生き返ったのだと思うのである。
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論理的ガキンチョ

何かの取りまとめ役や役員をやっていて、『忌憚のないご意見をお願いします』というので、忌憚のない意見を述べると・・・

この仕事がどれだけ大変か分かっているんですか!?
やったこと無いくせに、そんなこと言う資格あるんですか!?


などとキレるやつ。
だったら、忌憚のない意見を求めるなと言いたい。

新しいアイデアか何かを説明していて、質疑に移り、答えに詰まるような疑問を投げかけられた時に

そんなことを言ってたら、何もできないじゃないですか!

なんてことを言うやつ。
なら、何もするな!

以前は掃いて捨てるほど、そういう手合いが身の周りにいたのである。
それも、仕事の上のことであったりするのだから始末に悪いのである。
そして、往々にして高学歴で優秀とされるグループにいたのである。
こういう手合いを『論理的ガキンチョ』と呼んで(まさに、面と向かって)哂っていたのである。

仕返しと言わんばかりに、くだらない議論を仕掛けてくるので、そいつの顔を見ず、西の方角を見ながら論破するのである。
何故、変なほうを向いてしゃべるのかを聞くので、『君と議論すると口が西に向いてしまう。後で辞書でも引いてみろ』と言い、しばらくしてから抗議のメールが飛んできたりする。

とにかく、論理的ガキンチョは、夏場の蚊以上に目障りなのである。
気が付くと、最近は見かけないのである。
ようやく、そんなものを引き寄せてしまうようなレベルから抜けたのだろう。

わけわからん

この記事(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160126-00047434-gendaibiz-soci)だが、わけわからん。

これはあくまで道徳の教材であって、法に関する教材ではない。
言いたいことはわかるが、こういうのを批判のための批判というのではないかと思うのである。

どこの中学生かと思えば、立派な学者さんだったのに驚いた。

唐突ではあるが・・・

唐突ではあるが、ケツが痛いのである。
誤解を招くと何なので、詳しく説明する必要があると思われる。
ケツが筋肉痛で、太ももの後ろ側も筋肉痛、ふくらはぎも筋肉痛。

日曜日と月曜日に大雪が降り、今もあちこちに雪が残っているのである。
車の多い道路はおおむね除雪が進み、路肩に残っている程度である(幹線道路は歩道にどっさり)。
私が好んで通勤に使うのは、車があまり通らない路地以外の細い道であるが、これらは道沿いの住人による人力がメインと思われる。そこそこ雪が残っている。
そして、職場の近くには田んぼが広がり、そこを何本か道路(センターラインのない、車二台分ぐらいの幅)が走っている。幹線道路からの抜け道として使われている道ではなく、私が好んで使う道は除雪が遅れていて、今でも膝ぐらいの深さで積もっている。
迂回すればいいのだが、わざわざそこを通ってしまうのである。ついつい、である。ガキなのである。

結構楽しんで、あえて雪が多い道を歩いているのであるが、ここへきて筋肉痛がひどくなりつつある。
心はガキでも、身体はジジイになりつつある。
そこを自覚しつつ、たぶん明日もわざわざ雪道を歩くのだろう。
アホですな。

前世鑑定

りかさんに前世鑑定をしていただいた。

今のところその詳細を書く気は無いが、いろいろと分かったことがある。

私には昔から、ある心象風景があり、その風景は心が和み落ち着くものであると同時に、胸が締め付けられるような思いを伴うものであった。胸が締め付けられるのであるが、自分はその風景を深く愛しているのである。そこは地中海(実際には見たことは無いが確信していた)。

その前世では、深い悲しみと激しい怒りを伴う体験をし、その悲しみを振り払うように仕事に没頭したそうである。
今は、その時に向き合えなかった怒りや悲しみと向き合うことが課題であるようである。
さらに思うのである。悲しみや怒り、憎悪から目をそらすために打ち込んだことが、どれほど人のために役立っていようとも、それによって救われる人たちに対しても目を背けているのである。仕事に打ち込んだ半生の中では、喜びや幸福すら暗い色彩で染まり、やはり目を背けるのである。

まずは、明るいものは明るい色彩のまま受け入れて、喜びと楽しみを受け入れること。
そこから手を付けようと思うのである。

今は『この今』しかない。しかし、この今を生きているのは『この自分』だけではなく、すべての過去世の自分とともに生きているのだと思うのである。このことを実感したのである。

りかさん。ありがとうございました。
感謝!

サラリーマン世帯の収入

当然ながら、賃金収入がメインだと思うのであるが、『景気回復』などと言いながら、対して収入は増えていないのではないだろうか。
少なくとも私はほとんど賃金収入は増えていない。

うがった見方なのかもしれないが、労働組合が足かせになっているのではないかと思わないでもない。
簡単にサラリーマン世帯が豊かになってしまっては労組の存在意義がなくなってしまう。
加えて、労組が支援するのは野党である。
政府与党の政策によって、サラリーマン世帯の家計が潤いすぎては都合が悪いのである。

などと言ってみた。

今日の北陸某所の天気は・・・

暴風雪

起きてみたら、外は『デイ・アフター・トゥモロー』である(少し古いが)。

どうでもいいがこの映画、原作はどちらかというと気象の専門的な情報をもとに書かれたドキュメンタリーの一部で、状況を理解しやすいように時折挿入された物語を映画化したものである。
それを映画一本分にまで仕上げてしまうハリウッド恐るべしである。

こんな日は、外を出歩くと雪女に出くわすかもしれない。
さすがの私もテンションは上がらないのである(体温は確実に下がるだろう)。
家で引き籠っていることにする。

測るということ

私たちの周りには様々な測定値がある。
測定値には、その値を直接測るものと、別な測定値から間接的に測定するものとがある。

温度は間接的に測定される測定値の代表的なものである。
なじみ深い摂氏温度は水が氷る温度を0度、水が沸騰する温度を100度とした値である。

理科の実験などでおなじみの赤液温度計や水便温度計は、封入された液体の体積の温度変化を利用したものである。
一方、デジタル温度計やデジタル体温計などは金属センサーの抵抗値の温度変化を利用したものである。

私の知る限り、温度そのものを測るセンサーは存在しない。

さて、私はロッド鑑定をするのであるが、鑑定をしながら自分が何を感知して何を測定しているのか、いまいちよく分かっていないのである。
ネットで調べて観てもピンとこないのである。

例えば、『恋』というものの原理について調べてみて、『特定の異性を見た時に脳内に○○という物質が生成し、云々』などと言われても実感が無いようなものである。

ところで、これまでに承った鑑定依頼でのやり取りで、『○○さんの結果と違うが、どういうことか?』のようなご質問を受けることがしばしばある。
ほかの方の鑑定方法を知らない(自分の鑑定の原理すら知らない)私には答えようが無いのである。
鑑定の報酬を得ているのだから、『それに答えるのは義務』と言われることもあるのだが、答えられたためしがないのである。
申し訳ない限りなのであるが、やはり答えようが無い。
甚だ困ったものである。

グレン・フライ

you belobg to the city
この曲が好きだったのである。

10代のころ、洋楽のPVを放映するTV番組がいくつかあり、ビルボードの上位にランキングされている間は毎週のように放映されていて、必ず観ていたのである。

デビット・ボウイに続き、彼も亡くなってしまった。

あの世でもお元気で!

絵にかいたようなB型

遭難しそうな勢いだったおとといとは打って変わって、今朝の出勤時は日が差して気持ちのいい天気であった。
職場の知覚で、田んぼの中を通る一本道を抜けて行くのであるが、周りの田んぼも遠くの山も一面の雪景色。

とても楽しい気分であった。
そして、私の脳内では冬の通勤が過酷なものから楽しいものに書き換えられたのである(アホですな)。
できることならショートスキーを履いて通勤できれば楽しくて、早いし、楽だと思うのであるが、さすがにそれは無理なのである。
自宅に置いてきたために手元にはないし、買う余裕もない。
(無理って、そっちかい!)
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一夢庵(M2)不便斎

Author:一夢庵(M2)不便斎
私の目の前の世界は、私が生まれてきた時に私に贈られたものである。
あなたもかつて世界を贈られたからこそ生きているのである。

私の世界は私が作り動かして行くのである。
私の世界の操縦桿を握るのは私だけ。

あなたの世界は?

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