見える人?

20年ほど前のことである。

当時の私は今よりも思考力持理解力も無く、何よりも自信がなくて自分を守るのに精一杯だったと思うのである。
当時の私は、それを自分の母親の所為にし、子供の頃にひどい目にあわされた苛めっ子たちの所為にすることしか知らずにいた。
その頃に、別の件で家内の実家から紹介してもらった四柱推命の鑑定家がいて、この時期になると翌年のことを鑑定してもらっていたころを覚えている。

おそらく当時の私は自信の無さが透けて見えていたのだと思う。それを隠そうとして精一杯虚勢を張っていたのも丸見えだったのだと思う。

あんたの生れは、ええ星やで~

行くたびにそう言われていたのである。
そう言ってにこにこされていたのを今でも覚えている。
今でも変な虚勢を張っていないかどうかは自分でもわからないが、それでも何とかやっている。

ある時、そこで言われたのが

あんら夫婦は、いずれ別々に暮らすことになるように思う。
あんたは、若い人に囲まれて一人で暮らしていると思う。

という事を唐突に言われたことがあった。それは離婚するということかを聞いてみると『う~ん、わからん』とのことであった。

今、北陸某所で単身赴任している。
自分よりも若くて優秀な人に囲まれて、それなりに親しまれて楽しく働いている。
『予言』の通りになったようだが、自分の在り方次第では離婚されて孤独に暮らしていることもあり得たと思うので、多少はマシな人間になったのかと思う。
別段、自分の境地を高めるとか、波動を上げるとか、そういう努力はしていないと思うのであるが、自分の利害とは別のところで自分のやるべきことをやって暮らしている。それが少しでもまともな方向であればいいと思うのである。

今思うのは、定期的に聞かされていた『あんた、ええ星やで~』が、忘れたころに潜在意識に届いていたのかもしれないが、少しは自分の弱さを直視できる方向に進んできたのかもしれない。

などと思いつくままに書いてみた。
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バース

師匠の記事で登場する、講師バースはスポーツは苦手である。
だから、毎年恒例の化学科ソフトボール大会(春と秋)は避けていたのだそうである。

幸か不幸か、その当時は阪神タイガースにおいてランディー・バース選手が活躍していたのである。
だから有無を言わさず打順は3番、ポジションはファーストなのである。

そして、4番サード かまやつ、5番センター M2という強打者の前でチャンスは潰えてしまうのであった。

秋のソフトボール大会が近づくと、私とかまやつは教授からバースの特訓を命じられた。
目標はバース生涯初の安打&打点。達成できなかったらバースは髭と髪の毛金髪にし、私とかまやつは丸刈り。
達成できたら焼肉食い放題であり、必死であった。

しかし、バッティングを教えられながら、sinθとかいう奴は珍しいのであった。

そしてバースもまた、ある意味で忘れられない人の一人となったのである。

師匠②

『できればバースのほうで』そう思いながら、吹奏楽部が新しいほうを希望するように仕向けようと考えを巡らせている時に、師匠から『これはお前らがやることになっている』と言われた。

                    

かまやつも吹奏楽部も一言で凡庸である。私と相方はどちらもが考えて困難を乗り越える力がある、師匠が判断した結果である。
高く評価されることは嬉しいことではあるが、研究の実戦経験が皆無な学生に、ろくに情報が無いようなテーマを与えるのは無茶振りである。

おかげで、1年間を実験装置の改良と基本となる条件設定に費やしてしまったのであった。
当時の私の頭では、成果を発表するということは、きちんと実験をやってデータを取り、その解析結果をまとめたものを報告することであった。だから、『装置の改良を進めて、文献情報から得た条件とは全く異なるところに適切な条件があった』ということはただの失敗事例でしかなかったのである。

師匠の指導を受けながら、1年間のデータをまとめて暗い気持ちで研究発表の場に臨んだ。
思いのほか、先生たちは関心を示してくれた。質疑に網膜受け答えができたのは自信につながった。
そして、予想外の高評価を受けることができた。

当時は、理由はよくわからなくとも高評価を受けたことが嬉しかったのである。
今になって振り返ってみると、その時に得た高評価よりも重要なものを受け取っていたのである。

自分で考え自分で確認すること

その経験である。
参考にするものが無いとき、拠り所としていた物が崩壊したとき、確信は無くともとりあえず自分を頼ることができるのは強みである。

                    

最近、昔のこういうことを時々思い出すのである。
おそらく、このあたりの経験が自分の基礎となっているのだと思う。
そしてそのことを、しっかりと意識する必要があるのだと思うのである。

師匠①

私がいたころの高専のカリキュラムでは、最終学年の半分が卒業研究に充てられていた。
私は化学工学系の研究室に入ったのであるが、それは希望していたものでは無かった。
別の分野が得意であり、好きであり、極めたいと思っていたのである。
そして、その分野の研究室に入ることを熱望していたのである。

そこの教授は気さくな人で、『ここに入ると楽できそうだ』という印象があったようである(実際は・・・)。
定員4人のところ、5人の希望があった。私以外の4人は『楽そうだ』、『仲のいい友達と一緒の研究室に入りたい』などの動機であり、真剣に考えていた私は彼らが許せなかった。結局、じゃんけんで決めることになり(この点も許せなかった)、私は一発で負けたのである。
ザマ見ろ的にからかってくる奴がいたので、『スカスカの腐れ脳みそで、せいぜい頑張れよ』と捨て台詞を残した。
頭にきたらしく、私の胸ぐらをつかんで殴りかかってきた。
その日の午後、彼は保健室で過ごすことになった。
彼には申し訳なかったのだが、機嫌が悪かったのである。

化学工学は、難しい計算が付きまとうので人気のある科目では無かった。
そして、私は人気のなかった師匠の研究室に入ることになった。
研究室のメンバーは師匠(教授)、講師の先生(以下、バース;ひげが・・・)、私、相方(成績は中ぐらい、独力で表計算ソフトを1週間で使いこなす)、かまやつ(ムッシュかまやつ似。成績中の下)、吹奏楽部(成績中の上、自分が最も優秀と思っている)の6人であった。
研究テーマは2つ。一つは前年からの継続テーマで、担当はバース。残りは新しいテーマで、報告例が速報1報のみというもの。
チーム分けは私と相方、かまやつと吹奏楽部に決まった。
『できればバースのほうで』そう思いながら、吹奏楽部が新しいほうを希望するように仕向けようと考えを巡らせている時に、師匠から『これはお前らがやることになっている』と言われた。

(続く)

日々精進

過去記事に書いたように、人の心は浮き沈みがあるものである。
自分の意識レベルもよく上下するのである。

仕事をしている以上、いろんなことがある。不遇に感じることもある。
そういう時には意識は低くなる。
そして、すべての事がどうでもよくなってしまう。
そんな時は少なくないのである。

その時に思うことである。

何度も挫けそうになってここまで来たのである

元を取らずに投げ出すのはもったいないのである。
せっかく生まれてきたのだから。
プロフィール

一夢庵(M2)不便斎

Author:一夢庵(M2)不便斎
私の目の前の世界は、私が生まれてきた時に私に贈られたものである。
あなたもかつて世界を贈られたからこそ生きているのである。

私の世界は私が作り動かして行くのである。
私の世界の操縦桿を握るのは私だけ。

あなたの世界は?

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