プロ野球 アジアチャンピオンシップ

テレビをつけたらやってたので何となく見ているのである。
今日は日本対台湾。

台湾の選手には常に魅力のある選手がいる。私にとってであるが。
今は陽 岱鋼が好きであるが、若い頃は郭 源治が好きだった。
余談だが、就職した時にその事業所の野球部に入部したのであるが、その時に購入したのが『郭源治モデル』のグローブであった。
場末の軟式野球であったが、ピッチャーとして郭 源治を目指したものである。
この試合のテレビ中継の解説の一人が郭源治なので、ついつい書いてしまったのである。.

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今朝は思いつくままに記事をアップしているのである。

キリがないのでこの辺でやめておこうと思うのである。

好きな小説の一つに宮城谷 昌光の『孟嘗君』という歴史小説があるのだが、前半の主人公である風洪が士大夫であることをやめて商人になる一節がある。日本的に言えば、武士階級を捨てるという事に相当すると言うイメージだと思うのであるが、そのあたりのことが頭の片隅に残っていて、北陸某所に出向する直前に当時の上司と決定的な衝突があり、身の振り方を考えようと真剣に思ったことがあった。
その時に『孟嘗君』のこの部分が思い起こされたのである。

『士を捨てる』という表現から転じて、会社を辞めるという事のサインかもしれない。
『剣を捨てる』とも表現されていたので『剣』→『研』→『研究の仕事』と解釈して、研究の仕事も潮時かという事ではないかとも思った。
よく解らないので、結論を急がず頭を冷やしつつ様子を見ていたのであるが、『明日あたり休みを取って職安でも行ってみようか』などと思って出社したら、朝っぱらから出向の話が飛び込んできたのである。
当時、前職場は『富士山のふもとの事業所』への移転が決まっていたのであるが、できれば北陸某所に来てほしい、とのことであった。

そうか、文字通り『士を捨てる』という事であったのか。
そう気付いたのはついさっきである。
2年以上経過しているのである。
あほである。

新世界

と言っても、大阪の繁華街ではない。
ドボルザークの曲でもない(余談だが、大阪の新世界のJR最寄り駅では列車発車の合図)。
さらには私がそこで神になろうという野望を持っているという事ではない。

今月から新しい仕事が始まったのである。中身は先月までの仕事と同じようなもので、かかわる研究テーマとコラボする部署の担当が変わっただけである。だたし、先月までの相方はかわいい女性社員だったのだが、今回は若手のごっつい男性研究員。大柄な野郎とでっかいおっさんのコンビであり、むさくるしいことこの上ないのである。
若干のテンションの低下はあるものの、新しい世界が始まったような気がするのである。そこでどんなことが待っているのか、今から楽しみである。

何かの飲み会で、例の女性社員は『一夢庵さんのようになりたい』という事を言ったことがあり、『人は自分以外の何者にもなれない。でも人は、心から望めばどんなものにでもなれるものだ。』という意味のことを言ったらしい。酔っ払っていたので、よく覚えていないのではあるが。

言った本人はさっぱり覚えていないのであるが、言われたほうはその意味を理解して自分がどのようになりたいのかをしっかり考えて自分の方法でそれを目指しているようである。その辺の変化を見て、別な若手をぶつけてみようという意図もあるらしい。
できることなら彼女の変化は彼女自身の力によるもので、私の影響力は皆無であることを理解してほしいものである。

さて、この辺の一連の出来事で追い出したのは、十年余り前に江の島の近くにある龍口龍神社でひいたおみくじの言葉である。
この先の自分には何が必要なのかを問うために引いたのであるが、こんなことが書かれていた。

声は消えても、心の底にきいた言葉が生き残る
強く打てば大きく響き、弱く打てば小さくひびく。した事、いうた事、思った事、
よいも、悪いも悉く皆、何者かに影響して、永遠にあとを残す。慎むべきは、
其思い、其行い、其言葉、恐るべきは其影響、其反発である。


十年余りかかって、ようやくその言葉の意味を理解し始めたのであり、とんでもなくのろまなのである。

理解の外

どこにでもあることだと思うのであるが、親会社から子会社に出向して、何の根拠もなく子会社とそこの社員を見下げる人が少なからずいると思うのである。私にはその発想が理解できないのである(おおよその想像はつくのであるが)。
少し前に、前職場でも設備の導入などでお世話になった方がいて、その方も北陸某所に出向していたのである。その方が定年を迎え、雇用延長を辞退されたという事で親会社出身のメンバーでの送別会が開催され、出席した時のことである。隣に座ったのは経理関係の人で上級管理職として出向しているひとである(以下、『勘定奉行』またはさらに略して『奉行』とよぶ)。
その時の会話の一コマを下記に示す。

奉行 『一夢庵さんは、親会社で技術者として活躍されていたそうですが、物足りなくないですか?レベルが低くて。』
拙者 『そう言うことは無いですね。技術的にはこっちが上かも知れません。実際にものづくりにかかわっているので経験値が圧倒的に違いますね。』
奉行 『ふーん。でもこっちの人には危機感がないよね。』
拙者 『そうかもしれませんね。』
奉行 『なんかね、いろんなところでダメなんですよ。』
拙者 『そうすると、私に職場はまだマシなのかもしれませんね。皆さん熱心に勉強されますし・・・』
奉行 『彼らはね、勉強するだけでそれを仕事に活かそうとしないんだよ!』 ←かなり酔っ払っている。
拙者 『そうですか。そこも私の職場では事情が違うようです。なんかラッキーなところに入ったんですね。』
奉行 『そうなの?』 ←私からコップに日本酒をドボドボとお酌されながら若干きょとん。
拙者 『親会社では大企業にいると言う甘えからか、学生時代の研究スタイルのままの人が圧倒的に多いようですが、こっちではプロの研究をするようですね。』 ←ウイスキーをがぶ飲みしつつ
奉行 『へー。』
拙者 『私はこっちの研究スタイルが肌に合います。どっちのレベルが高いのかはよくわかりませんし。見方によってどうとも取れますし。』


勘定奉行にとっては、子会社はそもそもダメなものらしい。乾杯のあいさつでもそのようなことを言ってたが、それは勘定奉行の世界では当たり前のことなのであり、疑う余地のないことである。
さらには、勘定奉行は子会社を見下げているだけで、その他の部分は申し分のない人で、私を含め多くの人に好感を持たれている(子会社の人を含めて)。

どっちの見方が正しいのか、それには答えはないと思うのである。ただただ、互いの価値観が理解の外という事である。

光と闇

光と闇
善と悪
ポジティブとネガティブ

無条件でポジティブが良くてネガティブが悪い。
極論するとそのような思考パターンがメジャーではないかと憶測しているのである。
私はそうではないと思うのであり、どちらも同じぐらいの重さでこの世界には必要なのである。

行きついたのは光は進むべき方向から導くもの。闇はここから先へは進んではいけないと踏みとどまらせる存在。という考え方である。

で、思ったことである。
旧職場で、特にものづくりを視野に入れた状況で重大な問題が発生した時、会議などでああでもないこうでもないと活発に議論が展開されるのではあるが、打開策を提案するものはほぼ皆無である。
私を含めてごくわずかなものがアイデアを出し、優秀な研究員たちが『ここがこうなったらだめじゃないのか?』的なことを言って泥沼にはまるのである。
そのうち私がブチ切れて黙って実験データをとって、可能性を立証することがある。立証できなかった時には集中砲火を浴びるのだが、『ならお前らの誰かがアイデアを出せ!できないならガタガタいうな!』と一喝して会議は葬式のような雰囲気をまとうのである。

さてこの状況を光と闇に置き換えてみると、私は光の役目を負い、彼らは闇の役目を負っているのである。
私は必要なら闇のや梅を負えるのだが、彼らはこの状況の中では光にはなり得ない。これは能力の問題ではなく経験やスキルの問題である。彼らの名誉のために断っておく。彼らは確かに優秀なのだが、自分が優秀である状況とそうではない状況を峻別できていないだけなのである(余談だが、彼らのほとんどは常に自分は優秀である自覚があるのは不思議である)。

私は光も闇も同じぐらいに必要なものだ。そう言うのなら、彼らを徹底的に批判して否定する自分は何なんだろうか?
よく考えてみるべきなのである。
プロフィール

一夢庵(M2)不便斎

Author:一夢庵(M2)不便斎
私の目の前の世界は、私が生まれてきた時に私に贈られたものである。
あなたもかつて世界を贈られたからこそ生きているのである。

私の世界は私が作り動かして行くのである。
私の世界の操縦桿を握るのは私だけ。

あなたの世界は?

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